家族円満なテレワークに一番大切な事
は、家事分担の度合いではなく、お互いに対する「気遣い」。
(あ、Wi-Fi環境とかテレワーク部屋の場所とか、
ハード面の環境整備は家事分担以前の項目です、念のため。)
先日、息子部屋でのオンライン講座を終えてリビングに戻った時、
主人が用意してくれたホットサンドを見て、しみじみと思いました。
コロナがきっかけのテレワーク体制も、気づけばはや1年。
当初は「一時的応急措置」と誰もが思っていましたが、
今では新たなライフスタイル・働き方の一つとなりました。
我が家は一時的に家族全員が自宅生活に。
その後高校生だけが通学スタートしたり、
大学生が一瞬オンラインとリアルの2本立てになったり、
主人の出勤日が緩やかに増えたり、また減ったりと
未だに大小の「状況の変化」があります。
そんな中「99%テレワーク」を実現している私は
「働く人」としても「家事の主担当」としても一番、
状況の変化に振り回されてきた立場でした。
(テレワークのプロとしてレタスクラブの取材
まで受けました笑)
自分の仕事の様々な変更への対処はもちろんですが、
主婦として、食事の回数、シンクの洗い物やゴミの量、
掃除の頻度、洗濯物の量、スーパー買出しの頻度と量、
高校生の弁当、家族の食事の有無(昼食&夕食)、
オンライン学習環境のセットアップだったり
自分がテレワーク第一会場(=寝室)を使えるか日どうか…。
「管理・確認する事」が一気に増え、なのに
「コントロールできない事」も一気に増えた日常。
そして、家族の様子が「見えるから」こそのイライラ。
「自分の予定」のギリギリまで寝ている家族。
(こっちは「誰かの予定」にあわせていつも早起きなのに!)
「自分の予定」に合わせてマイペースに行動する家族。
(こっちは自分どころか、家族3人の変更に振り回されるのに!)
「夕食いらない」「やっぱりいる」で済む家族。
(一人減ったところで食事づくりはなくならない!私もたまには言いたい!)
リビングがオフィスになるのは「仕事だから当然」といった態度。
(主人の名誉のために言うと、我が家ではそれはなかったです)
「何時に○○してくれる?」
(知らーん!こっちにも動かせないスケジュールがあるっ!)
そして、
そんなあれこれの家族の都合にあわせてくれるものだと思われがちな、
「主婦」という役割。
・・・
全国のテレワーク家庭で、働く主婦も専業の主婦も、
一番ストレスと不満をためるはめになったのは、当然です。
でもこの状況を変えるには、
黙ってイライラをためているだけではだめなんです。
- 自分のイライラの正体に気づく
- それを解決できる具体的な対策・方法を明確にする
- それを「家族が理解できるように」伝える
- 「譲れる部分」と「譲れない部分」を明確にする
- 譲れないところは譲らない(自分もやらない、など)
- 相手の「大変」も想像・理解する(自分だけが大変ではない)
- 「現実的に」可能なレベルの提案を考える
- コロナ以前と「同じ生活」をしようとしない
- 感情的ではない伝え方を心がける
- 協力し合えることを「あきらめない」
この一年間、我が家もそんな話し合いを経て
「お互いに自立し、ゆる~く気遣いあいながら、
各自の(バラバラな)スケジュールを頑張る」体制ができ、
今では「あうんの呼吸」になりました。
- 「コーヒー淹れるけど、飲む?」
- 「お疲れ様ー、休憩?この後は何時から?」
- 「○○作るけど、もうお昼食べた?」
- 「○日の予定どんな?講座が夕方までだから
出来れば夕食担当お願いしたいんだけど」 - 「〇日って寝室使える?」
- 「〇日はリビングでも大丈夫だよ」
- 「今日○時ごろになるけど帰り買ってくるものある?」
- 「今日はアマゾンプライム観る?明日早い?」…
我が家では主に夫婦間でのやりくりと協力ですが、
時々子ども達を巻き込んだり、
ごくごくたまに子ども達の方から声をかけてくれたりします。
そんな理想的な日常になった今、思う事は
家事負担の配分が同じかどうかなどではなく
「大変さを分かってくれていること」、
「担当した時は予定が変わっても当事者でいてくれること」、
(「やっぱり作れない」→「作れなくなったから○○するね」など)
そして、「ごめんね」「ありがとう」などの、ちょっとした言葉。
そんな「気持ち」が、やっぱり一番嬉しいんですよね。
家事を「きっちり半分」してくれて「文句ないでしょ」と言われるよりも
「2割」しかしてもらえなくても「ごめんね、ありがとう」と言ってくれる、
そんな家族でいたいなあ、と思うんです。
みんな大変。みんな我慢し、頑張ってる。
そして、
みんな自分の一番身近な存在に
「お疲れ様」「ありがとう」「ごめんね」「大丈夫?」
って言って欲しいし、言ってあげたいのだから。